強い人間は、優しい。20年以上追いかけ続けたプロボクサー・近藤明広という人

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2026年9月28日。

俺は、ずっと尊敬してきた人の「最後の仕事」を見た。

プロボクサー、近藤明広さん。

20年間戦い続けたプロ生活、その最後の試合だった。

結果は4回TKO勝ち。

55戦目。

最後の最後まで、近藤明広だった。

試合を見ながら、いろいろなことを思い出した。

中学生だった頃。

高校でボクシングを始めた頃。

同じジムに住み込み、一緒に練習していた頃。

金もないのに毎日のように上野へ遊びに行っていた頃。

俺がボクシングを辞めた時。

結婚した時。

妻を亡くした時。

会社を辞めて独立した時。

振り返ってみると、俺の人生の大事な場面には、何度も近藤さんがいた。

今回は探偵の話ではない。

俺が今でも尊敬している、一人の男の話を書きたい。


姉から聞いた「とんでもなくすごい人」

近藤さんは俺より5歳上。

実は、近藤さんと俺の姉は中学校の同級生だった。

姉から昔から近藤さんの話を聞いていた。

「すごい人がいる」

「顔もかっこいい」

「運動神経も抜群」

「めちゃくちゃモテる」

そんな話だった。

地元でも近藤さんはかなり有名だった。

当時は「喧嘩もものすごく強いらしい」という話まで広まっていた。

今考えれば、喧嘩が強いことを格好いいと思うような年齢でもあった。

俺自身、

「喧嘩が強くなりたい」

「強い男になりたい」

と思っていた。

だから、近藤さんという存在にものすごく惹かれた。

姉から連絡先を教えてもらい、近藤さんと連絡を取るようになった。

初めてまともに話したのは、俺が中学3年生の頃だったと思う。

近藤さんの家に何人か集まって飲んだ。

中学3年生なので、今なら完全にアウトな話だ(笑)。

もうずいぶん昔の話なので、そこも含めて本当の思い出として書いておこうと思う。


「普通の人じゃない」と思った

初めて近藤さんに会った時、一番最初に思ったのは、

「普通の人じゃないな」

だった。

顔も整っていて、何というか芸能人みたいなオーラがあった。

でも、俺が本当に嬉しかったのはそこじゃない。

5歳も年下の、何者でもない中学生の俺に、普通に優しく接してくれたことだった。

上から偉そうにすることもなかった。

相手によって態度を変えない。

誰に対しても、変な忖度をしない。

近藤さんは昔からそういう人だった。

この部分は、俺自身かなり影響を受けていると思う。

立場が上だから偉い。

金を持っているから偉い。

有名だから特別扱いする。

そういうことではなく、誰に対してもできるだけ同じように接する。

今、会社を経営する立場になって、従業員や取引先、依頼者と接するときも、近藤さんから学んだ部分はかなりある。


近藤さんみたいになりたくて、白鴎大学足利高校へ行った

近藤さんは白鴎大学足利高校でボクシングを始め、高校時代にはインターハイ準優勝という成績を残している。

当時、それが地元の新聞に載った。

俺たちの地元では大ニュースだった。

「埼玉県加須市から、とんでもないボクサーが出てきた」

俺には、そんな感覚だった。

それを見て思った。

俺も全国で戦ってみたい。

そして、もう一つ。

近藤さんに弟子入りしたい。

本人に正式に弟子にしてもらったわけではない。

俺が勝手に師匠だと思っていただけだ(笑)。

でも、高校選びについては完全に近藤さんの影響だった。

「近藤さんみたいな男になりたい」

その一心で、俺も白鴎大学足利高校へ進み、ボクシング部に入った。

俺は完全な素人だった。

当然、最初は先輩たちに毎日のようにボコボコにされた。

きつかった。

でも、辞めようとは思わなかった。

近藤さんが通った道だと思えば頑張れた。

そして俺も、高校時代に全国準優勝することができた。

その時、近藤さんはものすごく喜んでくれた。

お祝いもしてくれた。

憧れて追いかけてきた人に認めてもらえたことが、何より嬉しかった。


同じライト級。でも実力差は笑えるくらいあった

俺と近藤さんは、同じライト級だった。

何度もスパーリングをした。

でも、全然相手にならなかった。

本当に。

近藤さんは左手一本でも俺を完封できるくらい強かった。

ずっとプレッシャーをかけてくる。

こちらが攻撃しても、ほとんど見切られる。

特にディフェンスがうまい。

相手が何をしようとしているのかを先に読んでいるような感覚があった。

スパーリングが終わると、とにかく疲れる。

殴られたから疲れるというより、何をしても通用しないから精神的にも削られる。

俺から見ると、近藤さんは突出した一つの武器だけで戦う選手というより、すべての能力が高い選手だった。

大きな穴がない。

バランスがいい。

だから攻略するのが難しい。

国内トップレベルで戦い続け、最後には世界のリングまで行ったのは、そばで練習していた俺からすると当然だった。

逆に言えば、近藤さんと一緒に練習していたことが、俺自身の基準にもなった。

「この人に勝てないなら、世界チャンピオンなんて無理だろ」

そう思った。

実際、無理だった(笑)。

ただ一つ、今でも嬉しく覚えていることがある。

俺はパンチ力だけはかなりあったらしい。

近藤さんから、

「パンチ力はホルヘ・リナレスの次くらいに強い」

と言ってもらったことがある。

世界レベルの選手たちを知っている近藤さんにそう言ってもらえたのは、今でもちょっとした自慢だ。

スタミナは全然なかったけど(笑)。


手持ち3,000円で日東ジムへ

大学卒業後、俺は日東ボクシングジムでプロボクサーになった。

理由は単純だった。

近藤さんに弟子入りしたかった。

この人の近くにいれば、絶対に強くなれる。

そう確信していた。

そして何より、近藤さんという人間が好きだった。

当時、俺の手持ちは3,000円くらいしかなかった。

日東ジムは、今風のおしゃれなボクシングジムとは正反対。

古い建物。

ボロボロ。

ゴキブリも普通に出る。

「あしたのジョー」の世界みたいな場所だった。

そこに住み込んだ。

朝起きたら走る。

昼はスパゲッティーのパンチョでアルバイト。

アルバイトが終わったらジムへ行って練習。

金はない。

でも、毎日楽しかった。

近藤さんも住み込みだったから、練習時間もよく合わせていた。

一緒に鍋を作って食べたりもした。

そしてなぜか、金がないくせに夜になると上野へ行く。

キャバクラ。

ナンパ。

またキャバクラ。

俺が酔っ払ってキャバ嬢にキレたり、客引きにキレたりしている横で、近藤さんは笑っていた。

あの頃は、本当にくだらないことばかりしていた。

でも、今振り返るとものすごく大切な時間だった。

ちなみに近藤さんは、めちゃくちゃモテた。

顔もいいし、強い。

当然だと思う。

でも意外なくらい奥手だった。

自分から女性にガツガツ行くタイプではなかった。

同じ布団で女性と寝ても何もしないような人だった。

そういう意味でも、すごく紳士だった。


俺はリングを降りた。でも近藤さんは世界を目指し続けた

プロになって、近藤さんと一緒に練習しているうちに、俺は現実を理解するようになった。

「自分は世界の猛者と戦うようなレベルではない」

悔しいけど、そう思った。

だから俺は引退した。

近藤さんに伝えた時も、否定されなかった。

「今倉ならボクシング以外でも大丈夫だよ」

そんなふうに、俺の判断を尊重してくれた。

近藤さんは、人に自分の考えを押しつける人ではない。

一方で、本人は戦い続けた。

2007年度全日本ライト級新人王。

第55代日本ライト級王者。

WBOアジアパシフィック・スーパーライト級王者。

第42代OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者。

そして2017年。

ニューヨークのバークレイズ・センターで、セルゲイ・リピネッツとのIBF世界スーパーライト級王座決定戦。

当時の近藤さんは圧倒的不利と見られていた。

実際、大手ブックメーカーでもかなり大きなオッズ差がついていたという。

でも、近藤さんは行った。

世界のリングへ。

結果は判定負け。

世界チャンピオンには届かなかった。

俺も試合を見ていた。

もちろん悔しかった。

勝ってほしかった。

でも今でも覚えているのは、結果以上にあの姿だ。

何発打たれても前へ出る。

顔が腫れても、目が死なない。

折れない。

試合後、近藤さん自身も「世界でやれる自信はついた」と話し、もう一度世界を目指す意思を示していた。

それが近藤明広だった。


初めてKOされた日

忘れられない試合がもう一つある。

2019年、アピヌン・コーンソーンとのIBF世界挑戦者決定戦。

5回。

近藤さんが右アッパーを受けて倒れた。

俺は一瞬、何が起きたのか分からなかった。

近藤さんがこんな倒れ方をするところを見た記憶がなかったからだ。

本人も試合後、「ダウンは初めて」と話している。

正直、怖かった。

ボクシングはそういう競技なんだと改めて思った。

普通なら、そこで心が折れてもおかしくない。

それでも近藤さんはその後もリングに立った。

2022年には麻生興一選手を2回TKOで破り、OPBF東洋太平洋スーパーライト級王座を獲得。

30代後半になっても、またベルトを巻いた。

俺が近藤さんをすごいと思う理由は、負けなかったからじゃない。

負けても終わらなかったからだ。


ボクシングを辞めても、関係は終わらなかった

俺が現役を辞めたあとも、近藤さんとの関係は続いた。

近藤さんに呼ばれて、俺がトレーナーのようにミットを持つこともあった。

練習に付き合った。

スパーリングパートナーのような役割をしたこともある。

もちろん普通に飲みにも行った。

キャバクラにも行った。

旅行にも行った。

かなり仲は良かったと思う。

そして、俺にとって何より大きかった出来事がある。

後に俺の妻になる女性と出会ったきっかけも、近藤さんだった。

近藤さんの自宅の庭で開かれたBBQ。

そこで出会った。

だから、俺が結婚する時、婚姻届の証人を近藤さんにお願いした。

俺と妻が出会うきっかけを作ってくれた人だったからだ。

快く引き受けてくれた。

その時はまさか、その後の俺の人生で、また近藤さんに救われることになるとは思っていなかった。


妻が亡くなった夜

妻が亡くなった。

あの時のことは、今でもうまく説明できない。

頭の中が真っ白だった。

パニックだった。

正直に言えば、

俺も死んでしまおうかと思うほどだった。

深夜2時くらいだったと思う。

俺は近藤さんに電話した。

近藤さんは夜勤の仕事中だった。

それでも電話に出てくれた。

後になって聞いた。

「今倉から深夜2時に電話が来るなんて普通じゃない。絶対に何か大変なことが起きていると思った」

そう感じたらしい。

そして仕事を中断して、来てくれた。

近藤さんは、ほとんど何も言わなかった。

励まそうともしなかった。

「頑張れ」とも言わなかった。

ただ、

朝までずっと、そばにいてくれた。

それだけだった。

でも、あの時の俺には、それが何よりありがたかった。

本当に苦しい時、人は正しい言葉なんて必要としていないのかもしれない。

何もできなくても、

ただ隣にいてくれる。

近藤さんは、それができる人だった。

俺はこの時、改めて思った。

本当に強い人間は、優しい。

リングの上で人を倒せることだけが強さじゃない。

誰かが本当に苦しい時に、その人から逃げずにそばにいられる。

俺にとっては、それも強さだ。


「今倉なら大丈夫。絶対できる」

その後、俺は会社を辞めて独立することを決めた。

探偵として自分で会社をやる。

当然、不安だった。

以前の職場の人間から、

「今倉には無理だろう」

「どうせ1年もたない」

「組織から逃げただけだ」

そんなことを陰で言われていたことも知っていた。

「今倉には仕事を振らなくていい」

そんな話まであった。

俺自身、本当にやれるのかという不安はあった。

ある時、近藤さんと二人で飲んでいた。

居酒屋だったと思う。

その時、近藤さんが言った。

「今倉は大丈夫。」

「絶対できる。」

そして、

「今倉は今倉らしくやればいい。」

たぶん近藤さん本人は、そこまで覚えていないと思う。

でも、俺は覚えている。

人間は不思議なもので、自分に自信がない時ほど、信頼している人からの一言が残る。

近藤さんが信じてくれた。

だったらやってみよう。

そう思えた。

今、株式会社HARUKAとして今倉探偵興信所を経営している。

いろいろあったけど、まだ続いている。

だから今なら言える。

あの時、

「今倉なら大丈夫」

と言ってくれたことは、間違いなく俺の支えの一つになっている。


近藤さんから教わったものは、今の会社にも残っている

自分で会社をやるようになってから、

「自分はどんな社長でいたいのか」

を考えることがある。

近藤さんから受けた影響は大きい。

誰にでも親切にすること。

立場で人を見るのではなく、一人の人間として接すること。

後輩だから雑に扱うのではなく、ちゃんと話を聞くこと。

困っている人がいたら、できる範囲で手を差し伸べること。

俺自身、今でも周りから「サイコパス」と言われることがある(笑)。

でも近藤さんと出会っていなかったら、もっとひどかったと思う。

人間としての優しさ。

他人への接し方。

そういうものを、言葉ではなく行動で教えてもらった。

探偵の仕事も同じだと思う。

調査技術があればいいわけではない。

困っている依頼者に対して、どんな態度で向き合うか。

一緒に働く仲間にどう接するか。

近藤さんから学んだ「強さ」は、今の俺の仕事にも確実に残っている。


そして、55戦目

2026年9月28日。

後楽園ホール。

近藤さん、41歳。

20年間のプロ生活、その最後の試合。

対戦相手は日本ウェルター級14位だった松岡蓮選手。

近藤さん自身、引退前のブログでは「とにかく勝ちたい」と書いていた。引退後はトレーナーや選手育成、将来のジム開業にも取り組む考えを明かしていた。

俺は試合が決まった時から、身体のことが心配だった。

41歳。

20年間プロで戦ってきた身体。

無事に終わってほしい。

でも、最後だから勝ってほしい。

そんな気持ちで見ていた。

そして4回。

近藤さんの右が決まった。

松岡選手が倒れた。

TKO。

その瞬間に思った。

「いい最後だった」

それしかなかった。

最後の試合を勝ったから格好いい、というだけではない。

20年間、勝ったり負けたりしながら戦ってきた。

世界に挑んだ。

KOされた。

また立った。

ベルトを失った。

またベルトを獲った。

そして最後の最後に、

しっかり勝って終わった。

公式記録は55戦38勝22KO、14敗3分。

55戦目。

最後の最後まで、近藤明広だった。

俺にとって「近藤明広らしさ」とは、ここ一番の勝負強さだと思う。

最後に、やっぱり決める。

そういう人だった。


久しぶりにリングへ上がった

試合後には引退式が行われた。

近藤さんと拳を交えた人たちや、昔からの関係者たちがリングに集まった。実際、ボクシングモバイルも、関係者や元プロボクサーがリングに上がり近藤さんの20年間を称えたと報じている。

俺も、昔一緒に戦った仲間の一人としてリングに上がらせてもらった。

久しぶりのリング。

嬉しかった。

でも、それ以上に少し寂しかった。

近藤さんに、

「写真撮りましょう」

とお願いして、一緒に撮った。

あとで写真を見たら、後ろに大先輩の坂本さんがしっかり写り込んでいた(笑)。

坂本大輔さん。

元日本王者で、拓殖大学ボクシング部の大先輩。

俺も拓殖大学ボクシング部だった。

坂本さんとの出会いも、近藤さんと一緒だった。

昔、近藤さんと御徒町をフラフラしていたら坂本さんと偶然会った。

当時、坂本さんが働いていた居酒屋に、

「うち来なよ!」

と誘ってくれて、そのまま二人で飲みに行った。

そんな人が、何年も経った近藤さんの最後のリングの写真に偶然写っている。

人生って面白いなと思う。


試合後の飲み会。そして村田諒太さんとの3ショット

試合後は飲み会があった。

ありがたいことに、俺も呼んでもらった。

体育会系の大学生みたいなノリだった。

みんな一気飲みしたりして、とにかく盛り上がった。

41歳で引退試合を終えたばかりの人がいる会とは思えない(笑)。

近藤さんも大きなダメージはなく、元気そうだった。

最後を勝って終えられて、どこかホッとしているようにも見えた。

そして、その飲み会には村田諒太さんもいた。

ロンドンオリンピック金メダリスト。

プロではWBA世界ミドル級王者。

近藤さんと村田さんは東洋大学ボクシング部の同期で、2017年に近藤さんが世界戦へ向かう際にも、村田さんの世界王座獲得から刺激を受けていたことが報じられている。

二人を見ていて、戦友としてお互いをリスペクトしている雰囲気を感じた。

俺は村田さんにお願いした。

「村田さん、近藤さんと俺の3人で写真撮ってもらっていいですか?」

快く撮ってくれた。

しかも村田さんは俺のことも覚えてくれていた。

そして一言。

「お前、ハードパンチャーだけどスタミナないよな」

まさにその通りだった(笑)。

世界王者にまで、俺の弱点はバレていたらしい。

でも、その写真は俺にとって本当に特別な一枚になった。

昔から追いかけ続けた近藤さん。

その大学時代の同期で、オリンピック金メダルと世界王座を獲った村田さん。

そして俺。

何十年もボクシングに関わってきた時間が、あの一枚に詰まっている気がする。


次は、世界チャンピオンを育てる側へ

近藤さんは引退後、ボクシングの指導や選手育成、そして自身のジム開業に向けても動いている。本人も引退前から、トレーナー修行や一力ジムでの選手育成、ジム開業について発信していた。

俺は、近藤さんはかなりいい指導者になると思っている。

理由は簡単。

金儲けを最優先にする人じゃないから。

「ジムをやって儲けたい」

というより、

「世界チャンピオンを作りたい」

という人だと思う。

自分が届かなかった場所へ、次の世代を連れていく。

近藤さんらしい。

選手の気持ちも分かる。

勝った人間の気持ちも分かる。

負けた人間の気持ちも分かる。

世界戦も経験した。

KO負けも経験した。

復活もした。

20年間続けた。

これだけの経験を持った人から教えてもらえる選手は幸せだと思う。


強さとは何なのか

昔の俺に、

「強い男ってどんな人?」

と聞いたら、

喧嘩が強い。

パンチが強い。

誰にも負けない。

そんな答えをしていたと思う。

だから近藤さんに憧れた。

でも、20年以上付き合ってきて、答えは変わった。

近藤さんは確かに強い。

俺が何度スパーリングをしても勝てなかった。

世界のトップ選手とも戦った。

日本王者にもなった。

アジアのベルトも巻いた。

でも、今俺が一番尊敬しているのはそこじゃない。

中学生の俺にも普通に接してくれた。

俺が全国準優勝した時、自分のことのように喜んでくれた。

卒業が危なかった時、一緒に大学まで来てくれた。

妻と出会うきっかけを作ってくれた。

婚姻届の証人になってくれた。

妻が亡くなった夜、仕事を中断して来てくれた。

何も言わず、朝まで隣にいてくれた。

独立を否定されていた時、

「今倉なら大丈夫」

と言ってくれた。

そういう人だった。

だから俺は思う。

強い人間は、優しい。

自分に余裕がないと、人に優しくするのは難しい。

誰かの苦しさに付き合うことも難しい。

人を信じることも難しい。

近藤さんは、リングの上だけじゃなく、リングを降りても強かった。


近藤さん、本当にありがとうございました

近藤さん。

20年間、本当にお疲れ様でした。

俺はずっとあなたの背中を追いかけてきました。

同じ学校へ行った。

同じ階級で戦った。

同じジムでプロになった。

一緒に練習した。

一緒に遊んだ。

俺は途中でリングを降りた。

近藤さんは、その先もずっと戦い続けた。

ボクシングでは、最後まで追いつけなかった。

たぶん、これからも追いつけない。

でも、

諦めないこと。

自分を信じること。

人のために動くこと。

誰に対しても態度を変えないこと。

そして、

本当の強さは、優しさだということ。

近藤さんから教わったものは、今の俺の人生にちゃんと残っています。

俺が会社を経営する中でも。

従業員と接する時も。

依頼者と接する時も。

誰かが苦しんでいる時も。

近藤さんだったらどうするかな、と考えることがあります。

最後に伝えたい言葉を考えた。

「お疲れ様でした」

「尊敬しています」

「ずっと憧れでした」

どれも本当。

でも、どれもしっくりこない。

俺が近藤さんに感じている感謝を全部表せる言葉は、たぶん日本語にはない。

だから結局、一番普通の言葉になる。

近藤さん、本当にありがとうございました。

あなたの背中を追いかけてきたことを、俺はずっと誇りに思います。

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